コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。

タイトルの「コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。」これは、パブロ・ピカソさんの言った言葉です。私は、コンピューターが役に立たないとは全く思わないのですが、確かに道具以上でも以下でもないもの。と、捉えておかないといけないモノではあるのは間違いないと思います。今から10年から20年くらい前には、ユビキタス・コンピューティング(コンピュータが遍在すること)などと言って、コンピューターのことを多分に宗教的に捉えていた時代がありました。ユビキタスという言葉が本来持っていた「神はあまねく存在する」というニュアンスを強く内包していたのですね。15年ほど前の映画「マトリックス」などその最たる例だと思いますし、同じ映画つながりでいくと5年前の「サマーウォーズ」はもう少しネットワーク寄りになっていますが、同じようなニュアンスを持っていると言えるのではないでしょうか?イマドキはユビキタス・ミーなどというご時世ですから、“八百万の神の世界観”から、“私があまねく存在する”という非常に21世紀的な世界観に変遷している訳です。

閑話休題。

パブロ・ピカソさんのコトバには、このように時代をバッサリ斬ったようなものが非常に多いことに驚きます。そのひとつひとつが、とても興味深いコトバたちです。デザインの発想としてしっくりくるものに、もしかしたら偏っているかもしれませんが(笑)、いくつか私のお気に入りを記させてください。

”アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ”

“芸術とは、真実を実感させる虚偽である”

“あらゆる創作行為は、まず何よりも破壊行為である”

“すべては奇跡だ。例えばお風呂に入ったとき、あなたが湯船に溶けてしまわないことだって奇跡だ”

“行動が全ての成功への根本的な鍵である”

「パブロ・ピカソは天才」とよく言われるけれど、どちらかというと秀才ではないだろうか?と私は思います。スペインの美術館を訪ねると、ひとつの代表作に対する、習作や連作や、部分スケッチなど、大量の背景となる作品を目の当たりにすることが出来ます。そして、その多さにビックリするのです。行動が鍵だ。と言い切る辺りに、やっぱり努力や工夫と実際に手を動かすことを最重要としている姿勢が慮れるのです。

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女流洋画家8人展

8人展

とても素敵な洋画を描かれる知り合いのお二人が参加してる「女流洋画家8人展」が、東京駅に隣接する大丸百貨店10階の美術画廊にて開催中です。作品は総数25点だそうです。私も近日、伺う予定です。それにしても、上野、六本木、銀座、東京駅周辺のアートに関する状況は年々面白くなっていると思います。

女流洋画家8人展

3月26日(水)〜4月1日(火)
午前10時〜午後8時
木、金曜日は午後9時まで
最終日は午後5時閉場

大丸東京店 10階 美術画廊

context:文脈、脈略、背景、状況

日本における消費行動の高度化、民度の向上に伴って、「モノ」がそのままでは、売れなくなっています。現在の日本では「モノにまつわるコンテクスト(文脈)に価値がある」といっても過言ではありません。かといって、高額なモノが売れないか?というと全くそのようなことはなく、気に入ったものであれば高額であろうと購入する。というのが購買トレンドとなっています。

また、購入動機としては、「友人や知り合い、専門家からのレコメンド」要素が非常に重要な要因になっています。現在、モノを売るには、このようなコンシューマのニーズに応えることが必要です。空間のデザインをするとき、実際にある空間からイメージする場合も勿論あると思いますが、私の個人的な経験からすると、プロダクトデザインやアートなどからインスパイアされることがよくあります。

閑話休題。

デザインについて考える上でのコンテクストの重要さというのは、いまさら言うまでもないほど当たり前のコトだと思うのですが、先日書かせていただいた「現代美術を見る座標軸、つまりルール。」という記事のとおり、村上隆さんはしつこいほどコンテクストの大切さについて発言しています。このことが非常に気になっていました。アートの世界もデザインのルールと同じなのか?と。

そこで気づいたのですが、コンテクストは作り手ではなく、見る側が求めているのですね。そう考えると、非常にしっくりきます。例えば、私は毎週日曜日の朝に放送されるNHKの「日曜日美術館」というテレビ番組が大好きなのですが、これは明らかに作品にまつわるコンテクストを楽しんでることに他なりません。

先日、Dessaの2nd Presentationで作品を紹介した、柏村早織里さんとお話しする機会があったのですが、「そもそも今のような作品になったのはベリーダンスが好きだったから。」という面白いエピソードについてお聞きしました。

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さらに同じく2nd Presentationで作品を紹介した、渡邊ちょんとさんがもともとは獣医学部出身!というのも、馬の作品の骨格や筋肉の的確な筆さばきを拝見すると、なるほどな!と腑に落ちるものがあります。

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これらも、やっぱり作品にまつわるコンテクストですよね。作品や作家さんの面白いコンテクストを、もっともっと沢山、聞きたいなぁー、と思った次第です。

やりたいことはとにかくやる。そのほうが、人生は楽しい。

イラストレーターで作家の安西水丸(あんざい・みずまる)さんが3月19日、脳出血のため死去した。71歳だった。安西さんは17日午後2時ごろ、神奈川県鎌倉市内で執筆中に倒れ、病院で治療を受けていたが19日午後9時7分、亡くなった。葬儀は22日、親族のみでおこなった。(朝日新聞DEGITALより)

謹んで、ご冥福をお祈りします。

安西水丸さんの名言というものを検索してみたところ幾つか散見できましたので、ここに掲出させていただきます。

人生は短い。好きなこと、やりたいことがあるなら、やってみるべきです。

やりたいことはとにかくやる。そのほうが、人生は楽しい。

何かしらの才能が、人にはかならずある。

あらためまして、R.I.P(もしくはD.E.P)

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芸術というのは真に人間らしい” 知”である

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ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」

先日まで渋谷のBUNKAMURA ザ・ミュージアムで開催されていたシャヴァンヌ展でも展示されていた名画です。ここに描かれているのはMuse ギリシア神話で文芸を中心とした芸術を司る女神たちが水辺に集うアルカディア(理想郷)です。

芸術を司る女神であるmuseというスペルを見ると、music(音楽)とかmuseum(美術館・博物館)の語源になっていることが容易に解ります。museumのもうひとつの語源と言われる古典時代の学堂であるムセイオンも、もともとはmuseを祀る神殿を意味するそうです。

そして前述した「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」には、建築、絵画、彫刻の3つの化身として描かれた女性がいて、9人の女神museがその周りに集っているのです。このことから、当時の芸術は、絵画や彫刻、音楽、建築、踊りや演劇、歴史や科学についても分け隔てが無かったことが伺えます。これは、言ってみれば理想的な教育の在り方のように思えるのは私だけでしょうか?

昨日の記事「理科離れと同じくらい、美術離れは問題だ!」を別の切り口で見てみると、美術や芸術というのは真に人間らしい” 知”であるということが言えるのではないでしょうか?

理科離れと同じくらい、美術離れは問題だ!

「理科離れ」「工学部離れ」が進んでいる。ということが叫ばれて久しいですが、「理科離れ」問題に関しては、日本学術会議や、文部科学省、自由民主党などが忌々しき問題として大々的に取り上げた結果、小中学校から大学に至るまで様々な施策が施されてきました。また工学部系の大学は、産学官連携もスムースに進行し始めているように思われます。学びと仕事がスムースに繋がるというのは学問をする上でも、また個人のスキルアップに対するモチベーション向上という視点からも、とても良いことだと思われます。産業界からしてもさまざまなメリットがありますし、随分とテコ入れが進んだのではないでしょうか?

方やこれに対して、「美術」に関してはどうでしょう?「美術」もしくはもっと広く「芸術」に関しての教育は、非常におろそかに扱われているのではないでしょうか?

もともと「理科離れ」の基本的な問題というのは「ものづくりやイノベーションの基盤形成に対する不安」であったはずです。だとしたら、だとしたらですよ!「美術離れ」は、もっと、もっと根幹的で重篤な問題なのではないだろうか?と思うのは、私だけでしょうか??ものづくりに切っても切れないのが「美術」「芸術」ですし、そもそも、ものづくりやイノベーションに絶対不可欠なのは想像力や創造力であるはずですし、論理的にモノゴトを捉えて表現するということこそが「芸術」そのものだと思うのです。「美術離れ」は将来の日本にとってとても由々しき問題です。

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未来は子どもたちの中にある! 日本にクリエイティブな未来を!

そのために美術教育の充実を!

現代美術を見る座標軸、つまりルール。

村上龍さんの小説やエッセイがとっても好きで、著作のほとんどを読んでいます。一番最初に読んだのはデビュー作の「限りなく透明に近いブルー」でした。確か中学生の時に親戚から貰い受けた本だったのですが、中学生にはとっても刺激的で、思いきり想像力をたくましくしたものです。何故、親戚があの小説を純真無垢な紅顔の中学生に読ませようと企んだのか?はなはだ理解できないのですが。笑) そんな私も、今ではすっかり厚顔の中高年になってしまいました。

さて、閑話休題。

村上龍さんと、同じような名前のアーティストに村上隆さんという方がいるのですが、私はなかなか村上隆さんの作品の良さが解らないでおります。ただし、彼のアートに対する発言はなかなか興味深く、辛辣でありつつ的確なコメントであると捉えています。数多い村上隆さんの言葉のうち、私の琴線にかかったモノを幾つかプロットさせていただきます。

「構図」「圧力」「コンテクスト」「個性」。この四つが現代美術を見る座標軸、つまりルール。

芸術家には一般ビジネスマンと同じスキルも要求される。コミュニケーション力、システム思考力、チーム学習力の向上が成功の必要要件。

コンテクスト(文脈、脈略、背景、状況)があれば、天才に見せることができる。その発明が現代芸術。現代美術になる前の戦前、19世紀以前のコンテクストを理解していたほうがいい。つまり、歴史の重層化、コンテクストの串刺しを理解すること。

良い作品とは、一番目が「サプライズ」、二番目が「完成度」、三番目が「納得」。納得させるのは、「う~ん!」と少し考えさせて、「なるほど!」がベスト。わかりやすいコンテクストの説明、「物語」と言っていい。

非常に、というか、そのまま「芸術」とか「美術」を「デザイン」に置き換えることが可能だと思う次第でございます。

 

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Dessa 4th Presentation更新しました!

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早いものでDessaは昨年の6月に開設し、4回目のプレゼンテーションを行ってきました。先ほど作品数を大幅に多くする更新を行っています。今回はアーティストひとりあたり、6点から最大36点の作品を追加しています。そして、ありがたいことに、プレゼンテーション4回分の作品が手元に控えています。良い作品が目白押しなので早く公開したいのですが、末永くゆっくりとお付き合いくださいませ。

今後ともDessaをよろしくお願いいたします。

子ども時代にどんな絵本を読んだ?

先日感動創造研究所主催で開催した「感動創造フォーラム」でご登壇頂いた、九州大学の目黒実さんから頂いたメールに気になる言葉がありました。

子ども時代にどんな絵本や本を読んだか?
どんな食べモノを食べたか?
どんな愛され方をしたか?
によって、その人の(精神的)な骨格が決まる。
と、作家の江國香織さんは言っていた。

目黒さんと(株)ムラヤマの関係は、日本に3つあるチルドレンズミュージアムの計画から制作までのさまざまなシーンで非常にお世話になったという経緯があります。そしてこの文章の引用は、子どもたちにとっての新しいコミュニティについて記されたメールの一節でした。

さて、私の大好きだった絵本はというと、
バージニア・リー・バートンさんの「せいめいのれきし」
これに尽きます。この本がきっかけで「美大に行こう!」
と思ったし、ある程度の本の虫になったと言っても過言ではないくらい影響された絵本です。

せいめいのれきし

関西のプレスリーさんの似顔絵イベント

ローラ

 

Dessa 3rd Presentationでご紹介した関西のプレスリーさんが大阪のイベントで連日、似顔絵を描かれていたとの情報を頂きました。関西のプレスリーさんは、実は会社の大先輩なんです。笑) 以下はFacebookから転載させていただきました。

3月4日(火)「さんだ工房市」で似顔絵を描きました、三田駅前ペデストリアンデッキ上でのイベントで、非常に寒く、風が強くて大変でした、5日(水)も雨の中、テントを張って頑張ったのですが、客が来なくて散々でした、でも楽しく、いろいろな体験をして充実した一日を過ごさせていただきました、感謝です。

3月8日新開地「手しごと市」で似顔絵を描いてました、この日も寒かったですが、いろいろな人との出会いを楽しんで似顔絵を描いてました、屋外でのイベントは便所探しが大変です、手をこすりながらがんばってました。

3月9日「アリオ八尾」で似顔絵を描いていました、いぬずか先生の紹介で、一緒に横並びで似顔絵を描かせていただきました、いぬずか先生の方には家族連れのお客が連続的に来られるのですが、私は暇で、居眠りをしそうになっていた所に、車椅子のおじいさんと、外国人的な家族が来られて似顔絵を依頼していただきました、良かったです。
3月16日(日)、23日(日)もアリオ八尾の2階で似顔絵を描きます。